じいちゃんが旅立った。(写真は、お別れの日に。いい風がたくさん吹いていた)いつかその日がくることは、分かっていたけれど、お別れは悲しい。運転していても、農作業していても、涙が勝手に出てくる。
今、私が田んぼや畑ができるのは、どんなに控えめに言ってもじいちゃんのおかげだ。
誰とでも分け隔てなく、気持ちよく付き合うじいちゃん。たくさんの仲間がいた。損得考えずに、さっと助けにいくじいちゃん。私が知っているだけでも、たくさんの人がじいちゃんのお世話になっている。私も、数えきれないほど、お世話になった。
誰とでも分け隔てなく、気持ちよく付き合うじいちゃん。たくさんの仲間がいた。損得考えずに、さっと助けにいくじいちゃん。私が知っているだけでも、たくさんの人がじいちゃんのお世話になっている。私も、数えきれないほど、お世話になった。
畑でお茶の時間になると、その時にいる周りの人を呼んでくる。私も、その場にまぜてもらう。そうやって、周囲の方とつながっていくことができた。じいちゃんの友達が一緒にいるお昼時に、お邪魔してうどんをごちそうになった。
10年くらい前から借りている畑がある。借り始めて、ほどなくしてじいちゃんも、昔借りていたことが分かった。その時からの、ご縁で今に至る。
農機具が動かなくなったとき、早朝に農道でタイヤをパンクさせたとき、長い竹を軽トラに積んでの移動が不安な時、困ったときに助けてくれた。私にとって、スーパーマンみたいな存在だった。
2012年に骨折して、1か月ほど入院、3回の手術、リハビリ中、私の代わりに畑の管理をしてくれた。”いない間は、畑の面倒みてやるから、治して帰ってこい”って言ってくれた。都留に戻ってからも、1年以上、草刈り機は使うことができなかった。代わりに、草刈りをしてくれた。
恩返ししたいのだけど、返しきれないくらいお世話になった。
ゼロからイチを生み出すことに、長けていた。竹の節から作った、みそを作るときに使う”へら”、溶接して作ってくれた”田植え紐を巻き取る道具”、お手製の”糸巻き”などなど。とにかく、すごい。
解体現場からもらってくる、使えそうなパーツの数々。それらを駆使してつくる、農機具小屋たち。
風が吹き抜ける度、スイカを食べる時、ひまわりが咲くとき、稲刈り、田植え、大豆の収穫、とにかく1年中、じいちゃんとの思い出がある。その度にきっと思い出すのだろう。一緒に新聞やテレビの取材を受けたことも懐かしい。
この数か月、自宅にお手紙を毎週届けた。コロナのこともあったし、会えないし、電話もできない状態だったから。でも、ポストにいれておいたら、きっと家族の誰かが届けてくれる。田畑の風景をA4サイズにプリントして、その裏に日常を綴った。楽しみにしていてくれたと、後から聞いた。
最後に会ったのは、先月。さくらんぼ摘みにおいでと電話をくれた。もう、この時も電話することもかなりしんどかったはずだ。いつも、田畑のことを心配してくれていた。
じいちゃんに、恩を返すことはできなかったから、恩送りをしていこうと思う。
今頃、先に旅立った、大切な人たちとの再会に、大好きな宴会の約束に、田んぼや畑のことに忙しいことと思います。たまには、こちらの世界のことも、思い出してもらえたらうれしいです。そして、まだまだ、危なっかしい私のことを見守ってもらるとうれしいです。
本当に今までありがとうございました。ここに書き尽くせない感謝の気持ちを込めて。 さち